Happy birthday Vanessa!♥ |
靴ひもがあまりにもほどけまくるので、 結びなおしてくれる素晴らしいママです(笑) |
最近、英語できないコンプレックス&劣等感から抜け出しつつあります。ついに。やっと。
日々の生活ではあまり感じないけれど、去年の8月にOSUに来たばかりのころと比べたら、物理的に英語力は上達していると思います。(”物理的”ってこうやって使うものなのか?)でもそれ以上に、語学が全てじゃないなということがやっと心からわかってきました。
先日ある友達に「英語が出てこない時に、目力で何が言いたいか訴えてくるときのAkariの顔好き~」と言われました。突っ込みどころ満載ですが、”英語ができない=友達に相手にされない”という勝手な偏見で思い込んでいた方程式が間違っていることを証明してくれました。
ちなみにこれ言われた時、何が聞きたかったかというと、「今日何日だっけ?」ただそれだけ(笑)中学生英語も出てこない時がある私ですが、”目力”はFeelingさえあれば単語力が不足していても出せます。
他にも、仲のいいMcKennaと話していた時に、近くにいたあまりよく知らないクラスメイトが「言葉なくてもすごいうまく会話しているよね~」と感心?していました。私の言葉足らずなところをMcKennaが察してうまく足してくれるので(^-^;
彼女が優しくて頭が良くて私の英語の癖を多分知っているということもあると思いますが、やっぱり口からでる言葉だけがコミュニケーション手段ではないなあと思いました。みんなちゃんと空白を読んでくれます。でも、例え空白でも、表情や手で空白にヒントを足していくのが大事かなと思います。英語を話す時、場面を問わず、常に手が伝えたいことをなんとか表そうと動いていることに最近気が付きました。
他にも、ある先生とオフィスアワーで話をしていた時、「知ってる?私はいつもあなたの質問からいろいろ学んでいるのよ。英語のせいで授業がわからないことからくる質問よりも、あなたが深く考えているからでてくる質問の方が実際多いのよ。」と言われ、目が点でした。
「いつも大量のAwkwardな空白を作るし、質問しようとしても英語が崩壊していて申し訳ないんですけど…」と言ったら、「そんなの別に大きな問題じゃないわよ。」と言ってくださいました。英語が下手でも一生懸命やっていれば、みんな協力してくれるし、普通に人として見てくれるし、複雑な話も可能なんです。英語力ではなく、中身で評価してくれます。
アメリカは、日本では考えられないぐらい、いろんな人がいます。人種も肌の色も様々、違う国で生まれた人もたくさんいます。OSUには約2000人の留学生がいます。だから、みんながみんな、TOEFLのリスニングで聞くような、私にとっての”ザ・英語”を話しているわけではありません。いろんな訛りがあるし、いろんなアクセントがあるし、英語が母国語ではない人だってたくさんいます。私は今まで、必要以上に英語が流ちょうに話せない劣等感で、話すのが恥ずかしかったり、話すのを躊躇したりしていましたが(書いていて、めっちゃ日本人らしいなあと思った笑)、最近、「ま、いっか」という域に達しています。私だけがみんなとは全然違う下手な英語を話しているわけではなく、私の英語もいろんな英語がある中のひとつだと感じるようになってきました。(都合のいい解釈笑)
別に向上心を失ったわけでもないし、だからといって劣等感が消えてバンバン授業中に話せるようになったわけでもないですが、なんというか、若干楽になりました。英語ができないという理由であんまり自分を責めなくなりました。英語力が足りない分は、キャラクターでカバーすればいっかと思っています。例えば目力。例えば手。後は中身で。
※別にこれから留学に行く人に英語勉強しなくても大丈夫だよと言っているわけではないのでそこはよろしく(笑)
でも必要以上に英語恐怖で自分をコーティングしちゃうと、中身が出せなくなっちゃうので、そこは別に劣等感を感じずに突き進んじゃえばいいと思います。なんてったって、私達は「日本語」という訳の分からない言語を操れるんですから、それだけでアメリカ人は私たちのことをAmazingだと思ってくれます(笑)
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